鬼の石杖

 郡内には石杖の伝説がある。このことについて書いてある本がいくつかあるのだが内容がすこしづつずれている。まとめると以下のようになる。

参考書 石杖の由来 補足
杖の持ち主 吉久保 石動
郡内甲州街道物語 岩殿山の赤鬼 右杖 左杖 何かに驚いた鬼が石の杖を投げ飛ばした。石動の左杖には、鬼の指の跡がついている。
明日を考える 歴史資料集
甲州街道
岩殿山の山姥 右杖 左杖 右杖は、JRの工事で石の高さが低くなった。 
甲斐の伝説 山姥 折れた杖 折れた杖の片割れ 山姥は長旅をしていた。
大月観光ガイド 岩殿山の鬼 ・・・・ もも太郎に投げつけた石の杖 石が刺さった時、地面が大きく揺れたのでこの辺りを”石動(いしどう)”という。
このほかにも、「いつも石杖を投げてあげて遊んでいた岩殿山の鬼が、誤って投げ飛ばしてしまった」、という説明してある本もあるが、たいていのものは「大月市の伝説と民話:石井深編.大月市教育委員会.昭和55年」を元にしている。”大月市の伝説と民話”は地元のお年寄りのお話や、”北都留郡史”を基にしているという。
 石杖がどのようなものか現地調査してみた 

右の杖(立石坂の立石)
立石の石杖マップ 笹子駅を出て国道20号を大月方面へ進む。”武田ニ十四将”で有名な、笹一酒造の前を過ぎ、笹子川を渡る。左側に田んぼが出てきて中央線が平走するようになると吉久保バス停が現れるのでここを左に入り、中央線をくぐってT字路を右に進む。稲荷神社で左に曲がると滝子山であるが、石杖を見るには真っ直ぐ進む。旧甲州街道を10分ほどして右に中央線が手に触れるほど近づくあたりで、右へカーブしながら坂道を下り、中央線をくぐって再び国道20号に出る。さらに進めば白野に至る。
 20号にぶつかるところは工場の敷地の一角で、中央線をくぐるところに「立石坂の立石」の標があるので、これにしたがって工場の敷地の中を進むと線路沿いの林の中に引きこまれ、説明板とともに、石杖(立石坂の立石)が現れる。中央線のすぐ横に ザクッ と刺さっている。
 高さは2mほどある。岩盤から突き出しているのだろうが、仮に地下に同じだけ刺さっているとすると、全長4m。厚さは20cmほどある。巾は1mほどある。全部で800000cm3ということになる。石の種類にもよるが、2t以上にはなりそうだ。この石が山姥の杖だとすると山姥の身長は少なくとも4mくらいありそうである。巨大だ。この石が岩殿山の鬼のものだとすると、2tの石を9.5kmほど投げ飛ばしたことになる。これまたすさまじい。

石杖:正面
石杖:正面から

石杖:側面
石杖:側面から

石杖:線路側
石杖:線路の反対側から

左杖(鬼の杖)
石動の鬼の杖マップ 猿橋駅を出て甲州街道に出たら、右手に進み7イレブンのT字路を入り、宮下橋をわたる。巨大な中央高速をくぐるが、百蔵橋は渡らず、たもとの石動団地入り口を入り坂道を上っていく。東京電力を過ぎると団地になる。団地が終わると空き地と畑が現れ、ポツンと ”鬼の石杖” の標が立っている。いわれるがままに畑と空き地の間の通路を進むと、鬼の石杖が現れる。
 この一角だけが不思議な雰囲気が漂っている。異次元にワープしたような感じになる。10mほどの空間は、周りより一段低くなっており、その中に石杖だけが刺さっている。昔の写真が掲載されている本があるが、これでは石杖と道路との高さが同じである。石杖の大きさはほぼ同じくらいなので、実際は石杖の位置が低いのではなく、周りの住宅の位置が高いのではないかと思われる。
 石杖は約60度に傾いて刺さっており、傾いた先には岩殿山がある。石杖には鬼の指跡があると云うがそのようには見えない。周りには石積みがあり、いかにも何かの儀式の場といった感じがする。考古学界では日本の原人の存在が怪しくなってきている。しかし、「鬼の石杖」のこの場所に来ると、この地に原人がいて、鬼の石杖に祈りをささげていたのではないかと思われてくる。というより、今この場にいる自分自身が原人であるかのような錯覚に陥ってしまう。
 石杖の全体の大きさはわからないが、地上に120cmほど突き出ている。立石坂の立石と同じに考えると240cmとなる。石杖の持ち主が、鬼なのか、山姥なのか、鬼の形相の山姥なのかわからないが、4mと2.4mとはやけに不釣合いな石杖を使っていたものである。

鬼の杖:側面
鬼の杖:岩殿山に向いている

鬼の杖:正面
鬼の杖:岩殿山に向けて傾いている
鬼の形相の山姥

 さて、笹子駅から行く”立石坂の立石”、猿橋駅から行く石動の”鬼の石杖”を見てきた。どちらもなかなか印象深い。とくに”鬼の石杖”は私を何千年もタイムスリップさせてしまった。
 この二つの伝説の石は甲州街道郡内の名所だと思う。しかし、大月市は何故かこれらを力を入れては宣伝してない。観光案内でもっと宣伝してもいいと思う。こんな宣伝文句はどうだろう。


 郡内に伝わる昔話「もも太郎」。それは、百蔵山、犬目、鳥沢、猿橋、 といった地名との語呂合せが基になっています。ところが、岩殿山に住む鬼が使っていたという伝説の石杖が岩殿山麓に実在するのです。「もも太郎」伝説を信ずるか信じないかはあなたしだい。しかし、答えをだすのは鬼の石杖をあなた自身の目で見てからにしてはいかが。。。

 この宣伝文句は、立石坂の立石と石動の鬼の杖だけを元にしているが、実は岩殿山にまつわる鬼伝説には、「鬼の血」というものがある。

鬼の血マップ
 岩殿山に住む鬼が岩殿山から向かいの徳厳山に足をかけた時、もも太郎が斬りつけ、滴り落ちた鬼血の痕だという。
左下の石燈篭の辺りに赤鬼の血の染み込む土があった
赤鬼の血が染み込む土が
流れ落ちる
この話が本当だとすると(本当のはずはないが)、岩殿山と徳巌山との距離は1300mほどあるから、この山の間に足をかけられる鬼の足の長さは860mくらいになり、鬼の身長は1800mくらいになる。立石坂の立石も石動の鬼の杖も地下に千数100m刺さっていることになる。

 この話が通用するには ”鬼の血” がなくてはならない。ところが ”鬼の血” は存在するのである。石動の鬼の杖からさらに進み、真蔵院の墓地向かいのお宮の石塀に染み付いている。地元でも知らない人もいるが、知っている人の話では、

 お宮の前の石塀のところが鬼の血
   真蔵院のお地蔵さんのあたりのは黄鬼の血
  

とのことである。大月市・都留市境界の九鬼山は青鬼の山という話もあるので、まさしく

      「アカネ と キスケ と アオベエ」だ!
 2003年秋この赤鬼の血がなくなってしまった。赤鬼の血が流れ落ちる石垣は、子神神社という小さな神社であるが老朽化により今にも倒れそうになっているため、立派な社に建て替えられ、それとともに赤鬼の血が染み込む赤土も石垣もなくなってしまった。郡内の貴重な遺産が失われたことになる。どこかに大切に保管されていることを望みたい。またひとつ名物が消えた。(現在の様子は上の写真にマウスを乗せると見れます。)